役員退職金を払っても現場は回るか|電設会社を売る前の資金計画
記事中のモデルケースは、理解を助けるための架空の例です。 当社の成約実績ではありません。
役員退職金を受け取った翌月も、会社は電線や器具の代金を払い、協力会社へ支払い、従業員へ給与を振り込みます。社長の引退日が決まっても、その支払いは待ってくれません。
会社売却に退職金を組み合わせるなら、個人の手取りと同時に、会社が支払後も営業を続けられるかを確認します。預金残高から希望額を引くだけでは足りません。工事代金が入る日まで、何をいくら払うのか。その順番で考える記事です。
株式の代金は、会社の材料代にそのまま使えない
オーナー個人が持つ株式を買い手へ売る場合、株式代金を受け取るのは売主である個人です。一方、役員退職金は会社から支払います。個人が大きな代金を受け取っていても、会社口座の残高が十分とは限りません。
個人の受取額に退職金を足し、会社の預金も以前のまま残ると考えると、同じ資金を二度数えてしまいます。売却条件に退職金を入れるときは、誰から誰へ、いつ、何の名目で支払うのかを一行ずつ分けます。税引後の手取りの計算は、既存の会社売却の手取りガイドで確認できます。
そのうえで本稿では、会社に残すお金を先に見ます。
売却時に会社の現預金をどう評価するかは契約次第ですが、退職金で現金が減れば、買い手が受け取る会社の状態も変わります。提示された株価が退職金支払前と支払後のどちらを前提にしているか、早い段階で確認が必要です。
株式譲渡の対価を株主が受領する点は、日本公認会計士協会の事業承継支援マニュアル(2017年、印刷192頁)にも整理されています。以下は、社長本人が株式の売主で、対象会社が退職金を払う場合の資金計画です。
決算書の利益より、次の入金までの日付を並べる
ここからは実務上の整理方法の提案です。まず、会社の直近の預金残高を出し、退職金の支払予定日から、その後の工事代金の回収と主要な支払いが一巡するまでを見通します。大型案件や季節的な支出があれば、さらに先まで延ばします。
用意する資料は、完成工事の請求・回収予定、未完成工事の入金と残工事の支出予定、仕入先・協力会社への支払予定、給与・税金・借入返済の予定です。日本政策金融公庫も、資金繰り表と、建設業の今後の受注状況を記入する受注工事明細表を公開しています。手元の帳票で足りなければ、整理の参考になります。日本政策金融公庫「各種書式ダウンロード」
工事では、売上を計上した日、請求できる日、実際に入金される日が一致するとは限りません。
材料を先に手配し、検収後に代金が入る取引なら、その間を会社資金でつなぎます。受注が多いことは、すぐ使える現金が多いことと同じではありません。
入金予定には、根拠も添えてください。契約上の支払日まで確認できたもの、検収待ちのもの、追加工事の金額を協議中のものでは、確かさが違います。希望する日に入るものとして全部を足すと、余裕を大きく見積もるおそれがあります。
支出も、帳簿に計上済みの請求書だけでは終わりません。未請求の外注作業、発注済みで未納の器具、今後必要になる現場の追加手配を、現場担当と経理で照合します。評価資料の準備は、受注残と未成工事の整理が参考になります。
見たいのは、残高がいちばん低くなる日
月末の残高がプラスでも、月の途中で支払いが集中すれば足りなくなる可能性があります。退職金の支払日、給与日、大口の仕入支払日など、資金が大きく動く日は日付を分けて追ってみます。
計算は複雑にする必要がありません。その日に使える会社資金に、確認できた入金を足し、予定する支出を引く。そこへ退職金の支払いを入れたとき、どの日に最も残高が小さくなるかを見ます。会社ごとに入金条件や工事の波が違うため、「売上の何か月分なら絶対に安全」という共通の答えは置けません。
次に、予定どおりの場合と、主な入金が遅れる場合を比べます。
これは取引先の支払遅延を予言するものではありません。検収がずれたり、追加工事の協議が長引いたりしても、給与や外注費を払えるかを確かめるためです。
不足が見えたら、退職金の希望額・支払時期、譲渡日、会社に残す資金を一緒に見直します。取引先への支払いを一方的に遅らせて残高を作る方法は、関係を傷めるうえ、契約や法令にも関わります。通常の支払条件を守った計画で話し合うことが大切です。
税金が減る見込みを、今日の預金に足さない
適正な役員退職金は会社の損金になります。国税庁は、その算入時期を原則として株主総会の決議等により額が具体的に確定した事業年度と説明し、実際の支払年度に損金経理する場合の取扱いも示しています。取締役会の内定額を先に未払計上しただけでは、同じ扱いになりません。国税庁 No.5208「役員の退職金の損金算入時期」
ここで資金計画上、注意したいのは時期です。損金になることと、退職金を支払った日に現金が戻ることは違います。税負担への影響は、利益の状況、決算期、納付予定などを税理士と確認してから資金繰りへ反映します。税の効果を期待して退職金を払い、次の材料代が足りなくなる計画では困ります。
個人側でも、退職金なら必ず有利になるとは限りません。例えば、役員等勤続年数が5年以下に対応する特定役員退職手当等は、退職所得計算で残額を2分の1にする措置の対象外です。この役員等勤続年数は1年未満の端数を切り上げます。国税庁 No.2737「特定役員退職手当等」
退職金の額、退職の実態、社内決議、税務処理は個別に確認します。
本稿の資金繰りが成立していても、その金額が税務上適正だと証明されたことにはなりません。
買い手と最後に合わせる、二つの予定表
資金が足りない場合に、買い手が会社へ資金を入れる案や、金融機関から借りる案が出ることもあります。しかし、合意や融資実行の条件が固まっていない資金は、確定した入金として扱えません。誰が、どの方法で、いつまでに用意するかを確認します。保証解除や借入条件を同時に変更するなら、その手続との順番も必要です。
最終段階では、二つの予定表を合わせます。一つは、株式代金や退職金など売却に伴う資金の移動。もう一つは、日常の工事を続けるための会社の入出金です。売却当日の決済だけを見ると、翌週の大口支払いが抜けることがあります。
退職金の支払前後の残高、買い手が前提とする株価、会社に残す資金について、担当者の説明と契約案が一致しているかも確かめます。
金額が後から変わる場合は、何を基準に、誰が計算し、いつ確定するのかまで確認しておきましょう。
相談の際は、決算書に加え、直近の預金残高、工事ごとの入金予定、大きな支払予定、退職金の希望額と希望時期があると話が具体的になります。まだ全てそろっていなくても、相談窓口で、どの資料から整理するかお聞かせください。税額と適正額は税理士に確認しながら、社長の引退資金と、引継ぎ後も現場を動かす資金を同じ計画に収めます。
参照した一次資料
- 日本公認会計士協会の事業承継支援マニュアル(2017年、印刷192頁) (2026年10月19日確認)
- 日本政策金融公庫「各種書式ダウンロード」 (2026年10月19日確認)
- 国税庁 No.5208「役員の退職金の損金算入時期」 (2026年10月19日確認)
- 国税庁 No.2737「特定役員退職手当等」 (2026年10月19日確認)
知りたかったことは分かりましたか
執筆:松本電業株式会社(電設承継パートナーズ)