従業員に黙って進めるのは、従業員を守るためです。
会社を売ることを、従業員に伏せたまま進める。そのことに後ろめたさを感じる経営者は多くいらっしゃいます。ですが、伝えるのが最後になるのは、従業員の雇用を守るための順序です。その理由と、伝える日の設計までをお話しします。
その後ろめたさは、まともな感覚です
毎朝顔を合わせる職人に、会社を売る話を黙っている。現場の段取りを一緒に話しながら、 頭の片隅には譲渡の交渉がある。この状態がつらい、というご相談は少なくありません。
先に申し上げます。その後ろめたさは、経営者として何かが欠けている印ではありません。 従業員を大切にしてきた人ほど、強く感じるものです。 軽い気持ちで会社を手放す人は、そもそもこの葛藤を持ちません。
そのうえで、このページでお伝えしたいのは順序の話です。 従業員に伝えるのが最後になるのは、隠すためではなく、守るためだということ。 順を追って説明します。
途中で伝わると、何が起きるか
私たちは1950年から電設資材を扱ってきました。この業界が狭く、噂が回るのが速いことを、 資材を納める側から日常的に見てきました。
まだ決まっていない話は、社内に漏れた瞬間に「決まった話」として広がります。 そこから起きることは、だいたい同じ道筋をたどります。
- 従業員が不安になり、静かに転職先を探し始める
- 有資格者や職長格の人から先に辞めていく。腕のある人ほど、行き先はすぐ見つかります
- 電設の会社の価値は人にあります。人が抜けると、会社の価値そのものが下がる
- 買い手が条件を下げるか、話から降りる。譲渡が成立しなくなる
- 売却が流れた会社に、辞めた人は戻りません。残った従業員の雇用まで不安定になる
つまり、早く打ち明けることは、誠実なようでいて、 確定していない話で従業員の生活を揺らすことになります。 守りたかったはずの雇用を、いちばん危うくするのがこの経路です。
迷いも含めて全部話す誠実さと、約束できることが固まってから話す誠実さ。 ふだんの経営では前者が信頼を作ります。 ですが会社の譲渡では、後者が従業員を守ります。
だから、伝えるのは最終契約の後です
従業員への開示は、通常、最終契約の締結後か、締結の直前に行います。 それまでは、経営者と限られた関係者だけで進めるのが原則です。 全体の流れは進め方のページにまとめてありますが、 従業員への開示は、いちばん最後の工程に置いてあります。
これは従業員を軽んじる順序ではありません。 「雇用は続く」「給与は変わらない」と、契約で担保された事実だけを伝えるための順序です。 確定する前に伝えれば、従業員は答えのない不安の中に置かれます。 確定した後であれば、出てくる質問のすべてに答えられます。
なお、番頭格の方や経理を担当している方は、資料の準備の関係で、 途中から巻き込まざるを得ない場合があります。 誰を、いつ、どう巻き込むかは、最初の段階で一緒に設計します。
株式譲渡なら、雇用契約はそのまま続きます
会社の譲渡には、大きく2つの形があります。 株式譲渡(会社の株を渡し、会社ごと引き継ぐ形)と、 事業譲渡(事業だけを切り出して売る形)です。
株式譲渡であれば、会社という法人は変わりません。だから雇用契約は原則そのまま引き継がれます。 契約を結び直す必要はなく、勤続年数も、退職金の計算も途切れません。 従業員から見れば、株主と社長が替わっただけで、勤め先は同じ会社のままです。
事業譲渡の場合は扱いが変わり、従業員一人ひとりの転籍への同意が必要になります。 雇用を最優先にするなら、譲渡の方式の選択から論点になります。
そしてもうひとつ。買い手の多くは、設備や帳簿ではなく、人を目当てに買います。 人が採れないから、有資格者と職人ごと引き継ぎたい。 買い手が誰かを知ると分かりますが、 従業員が辞めてしまう買収は、買い手にとって意味がありません。 雇用を守ることは、売り手の願いであると同時に、買い手の利益でもあるのです。
処遇の維持は、契約の条項にできます
「雇用は守ると言われたが、口約束だった」では困ります。 雇用の継続、給与水準、勤務地。これらは最終契約の条項として盛り込むことができます。
当社は、価格の交渉より先にここを確認します。 譲渡をお考えの方のページに書いたとおり、 価格から入ると、話がまとまってから条件で揉めるからです。 従業員の処遇と価格が天秤にかかる場面では、 「価格を少し譲ってでも条件を守る」という判断も当然あり得ます。 どちらを取るかを決めるのは経営者であって、仲介ではありません。
ここで、仲介の構造についても正直に書いておきます。 成功報酬で動く仲介には、成約を優先して従業員の条件を後回しにする力学が働き得ます。 当社も成功報酬で動く以上、この構造の外にはいません。 だから利益相反への方針を先に公開しています。 売り手の方からは相談料・着手金・中間金・月額報酬をいただかず、 成功報酬のみであることも含めて、手数料のページに全部書いてあります。
伝える日は、設計できます
最終契約が済んだら、あとは伝えるだけ——ではありません。 誰から、どの順番で、何を約束するか。この設計で、その後の職場の落ち着き方が変わります。
| 相手 | 時期の目安 | 伝えること |
|---|---|---|
| 番頭格・幹部 | 最終契約の直前〜直後 | 経緯と理由を、社長自身の言葉で。現場を束ねる立場としての協力を依頼する |
| 全従業員 | 最終契約の後、間を置かずに | 雇用・給与・勤務地が守られること。社長がいつまで残るか。契約で決まった事実だけを話す |
| 取引先 | 従業員への説明の後 | 体制が変わらないこと。担当の変更の有無。従業員より先に取引先へ伝わる事態は避ける |
大事な点は3つです。第一に、最初の説明は社長自身の口から行うこと。 買い手や仲介からの通知で知らされる形は、それだけで信頼を損ねます。 第二に、約束できることだけを話すこと。契約に書かれた条件は、そのまま読み上げられます。 第三に、質問を受ける場を必ず設けること。 当日の説明の言葉に迷われる場合は、原稿づくりからお手伝いします。
まず、守りたい条件を書き出すことから
従業員のことを考えるほど、動けなくなる。この悩みは、そういう構造をしています。 ですが、順序と契約の設計で、雇用は守れます。そのための道具は揃っています。
売却をお決めでない段階で結構です。 まず、従業員について守りたい条件——雇用、給与、勤務地、そして誰にいつ伝えるか——を 紙に書き出すところから始めましょう。 承継準備チェックリストには従業員に関する項目も含めてあります。 書き出したものをお持ちいただいてご相談いただければ、 それがそのまま、契約条件の下書きになります。