機器商社の価値は決算書ではなく、代理店契約書の1条項で決まる
電気機器や産業用機器の卸には、許認可がありません。
建設業許可も、登録も、届出も要りません。明日から始められます。
だから、こう言われることがあります。
「うちなんて、誰でもできる商売ですから」
これは違います。
許認可がないということは、参入障壁が契約書と人しかないということ。
そして、その契約書には、売却を止める条項が入っていることがあります。
許認可がない業種の参入障壁は、どこにあるか
同じ電設の周辺でも、業種によって「新規に入れない理由」がまったく違います。
| 業種 | 参入を阻んでいるもの | 承継で守るべきもの |
|---|---|---|
| 電気工事・消防設備 | 建設業許可、有資格者 | 経営業務の管理責任者、資格者の残留 |
| 計装工事 | 横断的な技能を持つ人 | 設定値の記録、有資格者 |
| 盤製造 | 設計できる人、設備 | 図面と原価の見える化 |
| 電気機器・産業用機器卸 | メーカー代理店権と技術営業 | 代理店契約の継続 |
三菱電機、オムロン、富士電機、キーエンス。こうしたメーカーの代理店権は、申し込めばもらえるものではありません。
何十年かけて積み上げた掛率、支払条件、リベート。これらは金額で買えるものではなく、会社の歴史そのものです。
つまり、機器卸の会社を買う側が本当に欲しがっているのは、在庫でも倉庫でもなく、この代理店権と、それを回している人です。そして代理店権は、譲渡の方法を間違えると消えます。
代理店契約には、売却を止める条項が入っていることがある
代理店契約や特約店契約の多くには、支配権変動条項(チェンジ・オブ・コントロール条項)が入っています。
株主が変わったとき、役員構成が変わったとき、合併や会社分割があったとき——メーカーは契約を解除できる、あるいは事前の承諾を要する、という趣旨の条項です。
メーカー側から見れば当然の内容です。誰が経営しているかを見て代理店にしているのですから、その相手が変わるなら確認したい。
ところが売る側は、この条項の存在を知らないまま話を進めてしまうことがあります。
決算書を何期分そろえても、契約書の1条項を読み落とすと、売れるはずのものが売れなくなる。
だから私たちは、機器卸の相談を受けたとき、決算書より先に主要メーカーとの契約書を見せていただきます。
- 契約書が手元にあるか
- 支配権変動に関する条項があるか
- 承諾が「事前」なのか「事後の通知」で足りるのか
- 契約期間と、自動更新の条件はどうなっているか
何十年も更新していない、あるいは契約書自体が見当たらないという会社も実際にあります。それも含めて、先に把握しておくことが交渉力になります。
株式譲渡と事業譲渡で、代理店権の運命が変わる
この条項が効いてくるのは、譲渡の方式を選ぶ場面です。
| 株式譲渡 | 事業譲渡 | |
|---|---|---|
| 法人格 | 変わらない | 買い手の法人に移る |
| 代理店契約 | 原則そのまま継続 | 買い手が締結し直すのが通例 |
| メーカーの承諾 | 支配権変動条項があれば必要 | 新規契約の可否をメーカーが判断 |
| 簿外債務 | 買い手が引き継ぐ | 引き継がない |
代理店権が価値の中心にある会社では、この一覧だけで株式譲渡を選ぶ理由になります。
事業譲渡は買い手にとって安全な方式ですが、機器卸では「安全だが、いちばん欲しいものが付いてこない」という結果になりかねません。
買い手が事業譲渡を希望してきたときに、なぜ株式譲渡でなければならないかを説明できるかどうか。ここが交渉の分かれ目になります。契約書を読んでいれば説明できます。読んでいなければできません。
メーカーに話を通す順序が、条件を決める
支配権変動条項がある以上、メーカーには必ず話が行きます。
設計すべきは「知られるかどうか」ではありません。いつ、誰から、どういう形で伝えるかです。
早すぎると、買い手が決まっていない段階で噂が広がります。営業担当者の耳に入り、社員に伝わり、得意先にも伝わります。
遅すぎると、契約直前になってメーカーが難色を示し、まとまりかけた話が壊れます。
メーカーは取引相手であって、審査機関ではない。伝え方次第で、賛成にも反対にもなる。
実務では、こう組み立てます。
- 売上構成から、影響の大きいメーカーを絞り込む
- 買い手候補が、そのメーカーにとってどう見える相手かを評価する
- 基本合意の前後で、社長ご本人からメーカーの責任者に伝える
- 承諾を、契約の成立条件として書面に組み込む
順序の3が抜けると、メーカーは「後から聞かされた」と受け取ります。長い取引ほど、この受け取られ方が結果を左右します。
私たち自身がメーカーと取引している立場なので、どの会社がどういう伝え方を求めるかの感覚があります。
技術がわかる営業は、採用市場に出てこない
契約書と並ぶもうひとつの資産が、人です。
産業用機器は品番を売る商売ではありません。客先の設備を理解し、代替品を提案し、生産が止まらないように手配する。この判断ができる営業がいるかどうかで、同じメーカーを扱っていても会社の値打ちが変わります。
そして、この人材は採用できません。
買い手にとって「技術営業ごと引き継げる」ことが買収の目的そのものになります。だから、その方が高齢であることはマイナス要因であると同時に、買い手が急ぐ理由にもなります。
数字で見ると、業界の規模は小さくありません。電気機械器具卸売業の年間商品販売額は44兆1,875億円で卸売業全体の11.3%、従業者数は39万7,121人で10.3%を占めます(令和3年経済センサス-活動調査)。
一方で、卸売業の社長の平均年齢は61.5歳です(帝国データバンク「全国『社長年齢』分析調査(2025年)」)。
市場は大きい。だが、それを回している人の年齢が上がりきっている。
買い手はすでに動いている
上場の電機・電材商社は、代理店権と人材を買うために継続的に会社を取得しています。
- 立花エレテックは2010年1月、TOBで大電社の株式97.43%を取得しました。2006年の資本業務提携から4年後のことです
- 同社は2019年、2012年に資本業務提携していたタカギコネクト(旧・高木商会)を完全子会社化しました。提携から7年をかけた統合です
- 因幡電機産業は2013年5月、表示灯・報知機器メーカーのパトライトを取得価額71.76億円で買収しました。商社が「売る物を作る側」まで手を伸ばした例です
段階を踏んでいることに注目してください。資本業務提携から始めて、数年かけて完全子会社化する形が繰り返されています。
時間をかけた設計ができるのは、早く動き始めた場合だけです。逆に言えば、いま売却をお決めでなくても、話を始めておく価値はあります。
公表されている事例は電設業界のM&A事例にまとめました。
電材卸と両方をやっている場合の見せ方
電材と機器の両方を扱っている会社は珍しくありません。
そのとき問題になるのは、どちらの軸で買い手を探すかです。
電材卸としての価値は、在庫と物流と地場の工事会社との関係にあります。この論点は棚卸金額は同じでも価値は正反対に書きました。
機器卸としての価値は、ここまで書いてきたとおり代理店権と技術営業にあります。
両方を持っていることが、買い手にとっての価値になる場合もあります。電材だけの商社が機器の代理店権を欲しがることも、その逆もあるからです。売上構成を並べたうえで、どちらの顔で出すかを決めます。
誰が買い手になり得るかの全体像は買い手は誰かに整理しています。
資材を納めてきた側から見ています
私たちは1950年から電設資材を扱ってきました。
つまり、私たち自身が代理店契約を結び、掛率の交渉をし、メーカーの担当者と付き合ってきた側です。
代理店権がどれだけ重いか。メーカーがどういう伝え方を求めるか。技術のわかる営業が一人抜けると何が起きるか。これらは、外から決算書を見ているだけでは分かりません。
売却をお決めでない段階で結構です。まず、主要メーカーとの契約書を一緒に開いて、支配権変動条項があるかどうかを確認するところから始めましょう。
それだけで、選べる道の数が変わります。
参照した一次資料
よくあるご質問
支配権変動条項が入っているかどうかは、どう確認しますか。
メーカーに知られずに売却を進められますか。
事業譲渡だと代理店権は引き継げないのですか。
複数メーカーの代理店をしています。全部に話を通す必要がありますか。
執筆:松本電業株式会社(電設承継パートナーズ)